あの日からもう少し生きて、前の記事に物足りなさを感じたので、今回はさらに追記する。
以前の記事と変わるところも、そうでないところも。
一応注意しておくが、これは個人的な考察であり、私の捉え方なので、他の考え方や感じ方を否定するものでは無い。
また、私もこの先生きていけば、また違う想いを抱くかもしれないので、吐き溜めだと思って見てください。
ではさっそく。
私は、主人公の女の子が幸せになるまでの短編小説のような歌であると考える。
大切なものを得るのが怖く、
人には言えない自分の醜さを持っている"私"が
"貴方"との日々を通して光を得るといった。
一番 のサビの
消えない悲しみも綻びも貴方といれば
それで良かったね、と笑えるのがどんなに嬉しいか。
の部分は、どんな後悔があっても、それを経ての二人であり、それが無ければ貴方にさえ出会えなかったかもしれない。
だから全てが良かったのだ。間違いはなかったのだ。という風に読み取れる。
消えない悲しみも綻びも
あなたに出会うために起こったことだったのだ。だからそんなもの、あなたと出逢えたという幸福に比べたら些細なことである。
これからも貴方といれば。
これからの未来も貴方といられるのなら。
そんな、最大のラブソング。
そこから、二番のサビでは
お願い いつまでもいつまでも
超えられない夜を
越えようと手を繋ぐ
この日々が続きますように
と歌われる。
そこには、貴方と居る日々が続くならどんなに暗い夜でも構わない。むしろあなたという光だけで生きていけるのだから、朝なんて望まない。というくらい破滅的な愛が垣間見えるように思う。
今まで乗り越えてきた困難が貴方と出会うためのものであれば、この先の困難は抜け出せなくても貴方さえ居てくれれば、他は何も要らない。と言ったように。
そして、cメロで
生まれてきたその瞬間に私、
"消えてしまいたい"って泣き喚いたんだ
それからずっと探していたんだ
いつか出会える 貴方のことを
という歌詞が入る。
この歌は一貫して、"貴方"がどれだけ光り輝く愛なのかを歌った歌である。
生まれてきた瞬間に 消えてしまいたいって泣き喚いた
そんな死にたがりの
誰かの居場所を奪い生きるくらいならば
もう、私は石ころにでもなれたらいいな
と思っていた"私"が、一緒にいることで少しずつお別れを育ててまでもそばにいたくなってしまうほどに。
今、幸せでたまらないのだ。
だからこそ。
最後のサビは一番の歌詞の繰り返しだが、それよりも前向きな意味を孕んでいるように感じられるのだ。
いつか起こる、
"消えない悲しみも綻び "も
"貴方"といれば
きっと、それで良かったねと笑い合えるだろうと予感して、そんな未来を望めることがどんなに嬉しいか、と言った意味に変わっているのではないか。
"誰か"という名前のない不特定多数の居場所さえも奪いたくなかった、自分なんて要らないと思って、生きる気力もなかったいたとある女の子が " 私 " になるまでの日々の歌。
それを通して考えると、
私の名前を呼んでくれた
貴方の名前を呼んでいいかな。
という最後の歌詞に、どれほどの意味が詰まっているか。
" 私 "という人生を教えてくれた貴方の、人生の一部に私も入れてもらえませんか。
そういう意味に聞こえてならない。
きっとこの曲は何度も意味を変え、私の人生にあり続けるのだろう。
そしてやはりこの曲は、私の人生において、一番美しいラブソングなことに変わりは無いのだ。