まだまだ、どうしても語り足りなくて
またもやこんな記事をつらつらと書き始めてしまった
読めば読むほど聴けば聴くほど
やっとわかった時の感動が大きい
脳天をぶん殴られたような、
嫉妬するほどに美しい。
彼の才能はこの曲を聴けば痛いほどわかるね。
一番は前回あれだけ書いたので
今回は二番への愛を。
" お願い いつまでもいつまでも
超えられない夜を
越えようと手を繋ぐ
この日々が続きますように "
越えられない夜が続く ということは、
朝が来ない ということなのだと思うの。
暗い夜の闇さえも君と手を繋いで居られたら
最高潮の幸せなのだから
朝なんて望みもしないと。
つまり、これ以上の幸せは要らないのだと。
君だけでいい、と。
" 閉じたまぶたさえ鮮やかに
彩るために
そのために何が出来るかな
あなたの名前を呼んでいいかな "
この、" あなたの名前を呼んでいいかな " という歌詞がね。
私は、この世界のどんな愛の言葉より
自分の名前を愛しそうに呼ばれる事が
何よりの愛してるだと思っていて、
それをこの曲はまるっと代弁してくれたように思う。
眠りなのか、死なのかわからないけれども
目を瞑ったその世界までも彩ってくれるように
愛していてもいいですか?
という意味だと思うの。
一番の歌詞の " 私の名前を呼んでくれた " は
こんな不甲斐ない私を愛してくれた。
二番の歌詞は
どんな貴方でも愛していたい。
という意味だと思うの。
とても自己否定が強い "あたし" の
それでも唯一自分を肯定できる愛の歌
否定がこんなに多いのは、米津玄師さんの考え方のせいでしょう。
彼はいつも自分のことを卑屈というけど、こんなにポジティブなネガティブがあるのかと思う
逆に説得力のある、肯定のための否定。
この曲には様々な解釈があって、
きっと正解はないのだろうけれど。
" 生まれてきたその瞬間にあたし
消えてしまいたいって泣き喚いたんだ "
という歌詞に何度共感し何度泣いたことかと思う。
私はこんな世の中に、"こんな"人生に生まれてしまったことを悔いたのか、という程に泣く子供だった。
ずっと外に出たくなかった。
そのせいで、母は丸1日陣痛に耐えてくれたそうだ。
その、"こんな" に当てはまる所を
障害、不治の病とする解釈もある
でも、みんなどうしょうもなく不甲斐ない何かを背負っているはずなのだから、だれしも人生における障害を持って生まれてくることに変わりはないのではないか。
だから、愛しくて切ないのだ
訳の分からない世界線での
知らない感情の曲なら
私はこんなに大切にできなかっただろう
こんなに素敵な音が鳴っていても、
きっと聴く耳も持てなかっただろう
裏返しの言葉はこんなにも素直な
真っ直ぐな
とても大きい君という存在を歌っているのだから
私はここまで語ってもなお、この曲を言い表すぴったりの言葉がわからない
何よりも大切で
愛しくて
切なくて
暖かいこの曲は
どう言ったって軽率な表現になってしまいそうで、言葉にすることが出来ない。
それはきっと、この曲のテーマなんだろうね
この曲には愛も好きも出てこないのに
こんなにも愛してるって全部から伝わるのだから。
だから、出会えたこと、ここまでの思い入れができたこと。その全て。
" 奇跡で溢れて足りない " です。
そんなところで今日は締めようかしらね。
読んでくれてありがとう。
愛しい全てに敬意と感謝を込めて。