永遠という幻想に縋りたくなる日が
時たまふと訪れる
夏の夕方の一日が終わるさみしさと
さくらの散る頃のさみしさは似ている
人生の中で春ほど別れの多い季節もない。
散りゆく花弁を見ながら
私はあと何度この切なさを感じることが出来るのかと考えて、それがさらに寂しさを助長する
美しさは永遠でないから美しいのだろうか
何もかも諸行無常で
だから慈しむことができるのか。
少年少女のそこに生まれる未熟性が
なんと儚く輝かしいことか
グランギニョルで描かれる少年性だとか
サナトリウムで療養する少女性だとか
そういう未完成で洗礼された世界が
なんと言っていいか分からない程に
美しく
だからこそ切ないのだ。
その甘く痺れる切なさが美しくて
その中に心を沈めて飲み込むのだ。
花冷えの季節からしばらく経ってしまったけれども。
それでも今、私はここに書き残したかったのだ。